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子どもを守る闘いと今泉清さん
鈴木 篤(2002年記)

2001年の8月20日、下町タイムスの主幹として、また多彩な活躍で知られた今泉清さんが交通事故のために帰らぬ人となりました。

今泉さんは、この事務所にとっても忘れ得ぬ人です。この事務所が開設されたのは1974年の1月の末です。
当時、私は、「子どもを事故から防ぎ生命と健康を守る会」(略称「こどもを守る会」)と一緒に、江戸川区など東京の下町の至るところに放置されていたどぶ川の安全対策を求める闘いを進めていました。子どもを守る会は、水の事故で子どもを亡くした親達が結成した会で、危険箇所を放置している行政の責任を訴訟や住民運動などを通して追及し、安全対策を求めて闘っていました。

子どもを守る会の親と一緒に地域の労働組合のセンターである江戸川区労働組合協議会(区労協)を訪れたのは、この運動への労働組合の支援を求めるためでした。その江戸川区労協で当時議長をつとめていたのが今泉さんだったのです。

当時江戸川区内には、住宅密集地内を縦横に走る「どぶ川」(その中でも、特に、コンクリートで垂直に掘り下げられた「公共溝渠」が問題でした)が無数にあり、そこに転落した子どもの命が失われるという悲惨な事故が後を絶ちませんでした。
柵も蓋もされないまま放置されている公共溝渠(どぶ川)。ひどいケースではアパートのドアを開けて1歩踏み出すとすぐ目の前の地面がいきなりストンと掘り下げられた水路になっているという子どもにとっては文字通り落とし穴のような箇所もあったのです。

しかし、当時行政は、そうした事故に対する行政の責任を認めず、しばしば「落ちたのは、子どもの不注意、親の不注意」と責任を転嫁する発言を繰り返していました。
事故で子どもを失った親にしてみれば、他人に言われなくても、「あぁしていれば、こうしていれば」と自分を責めて責めて責めぬいてもなお、後悔と苦しみの気持ちは消えません。行政の「親の責任」という発言は、子どもを奪われた悲しみと苦しみに耐えている親を更にむち打つような非情なものでした。だが、水の事故は決して親の責任で起こったものではありません。それは、正に人間を単なる将棋の駒のように扱い、全てが利潤追求優先という価値観の下に進められてきた高度経済成長とその中での「都市開発」の必然の結果として起こったものでした。強者の論理がブルドーザーのようにまかり通る中で、生きた人間は時に弱くもあり、傷つき易くもある存在だということ、人間が人間らしく生きることこそ、大切なことなのだという生身の生きた人間への暖かい視点は忘れ去られていきました。強い者が正しい、勝つ者は正しい。弱い者は去れ。それが、時代の思想でした。だから、子どもたちがどぶ川に落ちて命を失ったときに「落ちるのが悪い」という驚くべき弱者切り捨ての言葉が公然と投げつけられていたのです。

子どもを守る会の闘いは、直接的には、危険などぶ川を放置した行政の責任を追及する闘いでしたが、その意味で、その闘いには極めて重要な歴史的な意味が含まれていたのです。
それは、強者の論理、勝者の論理、利潤の論理、効率の論理でブルドーザーのように突っ走り、人間性や人間を置き忘れて押しつぶしてしまう高度経済成長路線に対して、1970年代の後半からようやく始まった生活のあらゆる場面で人間性を取り戻そうとする市民の側からの闘いの最初のひとつということが出来るからです。
高度経済成長政策の下では、公共溝渠は、家庭用雑排水を効率よく流すことが目的で、それ以上でもそれ以下でも無いのだから、垂直に切り立つコンクリートで固めた水路が最も効率的だということになります。

子どもを守る会は、そういう公共溝渠をそこに住み生活する1人1人の人間の(特に最も弱い存在である幼い子の)目線で捉えることを求めたのです。幼い子にとっては落とし穴以外の何ものでも無いという事実。そこから問題を捉え政策につなげていくことを求めていったのです。
ですから、その闘いには、高度経済成長期の終盤から人々の問題意識にのぼるようになり、今なお両者間での綱引きが続いているこの国の経済・政治・政策等のあり方を巡る根本的な対立が、ほとんどそのままの形でくっきりと現れているのです。
 
話を今泉さんに戻しましょう。
今泉さんは、子どもを亡くした親の支援を求める訴えに涙を浮かべながらじっと聞き入っていました。やがて話が終わるとこう言いました。
「わかった!それで、俺らは何をすればいい?」
ここには、子どもを亡くした親の気持ちと要求に素直に耳を傾け、それに沿って自分の行動を決めようとする今泉さんの優れた姿勢が見事に示されています。運動のプロとして、おそらく今泉さんには、当時の守る会の運動に対して、気が付くことは一杯あったでしょう。しかし、今泉さんは、指導者面をしてあれこれ指図するのではなく、虚心に親たちの要求を聞き、それに寄り添っていこうとしたのです。

今泉さんの全面的な支援もあって、その後子どもを守る会は、美濃部都知事対話集会の開催や、10時間以上に及ぶ歴史的な区長交渉などを成功裡に進めることが出来ました。今では江戸川区だけでなく、全国の自治体の定番になっている親水公園もこうした闘いの過程で作られていったことは周知の通りです。

今泉さんは、その後「下町タイムス」の主幹として、下町に生きる伝統職人や技能などを中心に下町文化を広く人々に紹介していく仕事に移っていきました。私には、そうした今泉さんの行動の背後には、子どもを守る会の親を前に、スッと親の心を受けとめていった彼の姿勢と深いところで共通するものが流れていると思えます。そこには、無機質で無味乾燥な大量生産と大量消費その陰での人間性の喪失に対してNOを言い、1つ1つのモノに長い時間をかけて積み重ねられてきた人間の営みや、そこに込められた肌触り、手のぬくもり等、要するに人間らしい営みを徹底して尊重するという今泉さんの一貫した姿勢が窺えるからです。そうした今泉さんの生き方の中に一貫しているものを一言で言うならそれは、
人間が好きだ 俺は人間が大好きだ
ということではないかと思います。
合掌

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